2017年2月21日火曜日

「この世界の片隅に」*

二ヶ月半思い、やっと子供と観に行きました。

 「この世界の片隅に」

70年前の婆ちゃん、爺ちゃん、たちのことを思った。そして今の今を。

戦時中の暮らし・思想・ とらえ方が今までになかった作品だなーと思いました。
普通に日常に生きた、私たちと変わりないひと人が 生きた時代が戦争中だっただけで
そこにいくつものにんげんドラマがあって くるしくても生きていく強さみたいなのを感じた。

おばあちゃんは 20歳のころの7月に武器を作る市内の工場で結核になって 山へ帰って
きたけど、もし結核にならなかたっら そのまま働き続けて 原爆でしんでいたかもしれないと語った・おばあちゃんがいなかったら 今の私も 生れてこなかったし、先祖の一歩一歩の生きた
選択を思うと 私がいる ことも 改めて奇跡 みたいだと 思う。

 叔母さんは8/6の朝の市電に乗り忘れ物を思い出して取りに帰って生き残ったけど、その後別れた友達は原爆にあって亡くなったんだよと言っていた。
叔母さんが忘れ物をしてよかったと 小さいころすごく思ったけど、叔母さんはいつも言っていた
なんで友達を誘って家に帰らなかったのかと 後悔していると。私だけ助かって・・・・と。

想像を絶する 苦しみと痛みと悲しみと 一瞬にして 焼き尽くされた町 広島
原爆で亡くなった 魂は 選んで この 道を  生きて 生れてきたのかな・・・
魂の目的 の学びは 果たされたのかな いつも こんなことを思ってしまうし、
浮遊している 犠牲になった 霊魂 への 鎮魂への祈りを していると 焼き付くような痛みと
涙が とめどなく溢れて なんだか ぐしゃぐしゃになって 途方に暮れてしまう、私にはこれしか
できなくて ごめんなさい と 語りかけて 光の世界へ還って 行ってね と語りかける。

 私の爺ちゃんは将校さんだったらしく、指揮官をしていたらしい 騎馬隊で馬に乗ってる爺ちゃんの写真とっても好きでいつも見てしまう。爺ちゃんに、会ったことないけど、今生身で出会えたら、沢山積もる話がしたいんだな。あれこれと。...おじいちゃんが 残してくれた 骨董品や 日本庭園・ 好きだったものが すごく 深く 興味をそそるモノたちで おじいちゃんの 信仰の深さや センスの良さをうかがえる。 よろずやだった私の 家は いつも おばあちゃんが ひとり切り盛りして
あくせく働いて いたと聞いた。 おじいちゃんは どこどこのお偉いさんがたとの 会合やらでいつも留守 ほとんど家に居なかった ト近所の おじさんに聞いた。
昔の この町が たたら製鉄で栄えてた頃 の 写真は ひとの 嵐のようだった みんな写真だと着飾って とっておきの1枚を 撮ってもらって 。すごく すごく 素敵だよと 孫の私は思う。

映画見て すごく 印象に残った言葉 とっておきの 言葉があった。

 ''この世界の片隅に私を見つけてくれてありがとう' ' 


 ぐっときた。
人と人が 出会い巡り合って深く繋がりあった時の言葉
すごく 美しかった 
わたしもほんとうに 今 そう思う。 
母親と父親を見つけて 私が 選んでこの世に 生まれ
この大きく小さい世界の片隅で 出会う 小さな奇跡の連続に感謝しかない。


 世界が平和でありますように、祈ってやまなぃ。


だから私は 泣いて 笑って 苦しんで 悩んで 喜んで 歌って 踊って 走って
生きて 生きて 生きて 生ききって みせようと 思う。 
生きたがってる 霊魂たちの ためにも  
私は ここ に やっと 立ち戻って また 生まれよう

そして


素朴に生きるよ


わたしにはこれが あっている 
土と共に



お爺ちゃんの とっておきの 1枚  とっても素敵で かっこいいよ と語りかけて
どうぞ 私たち が道に迷ったら お見守り お導き ください と・・・

この世界の片隅に 私を 見つけてくれてありがとう・・・

 

0 件のコメント:

コメントを投稿